先月(2009年7月)に起こったウイグルの民衆蜂起。
今やどの新聞やテレビも報道しなくなったウイグル人のことを、ぼくはとても心配している。 「総選挙」も「のりピー」もいいけど、これだけ新聞紙面やテレビ放送枠があるのだ。 どれかひとつくらい、このことを掘り下げるメディアがあってもいいじゃないかと思う。
ほんの一ヶ月ちょっと前のことだ。 葬るには事が重大すぎる。
日本の新聞では「それ」が起こったのは新疆ウイグル自治区の首都ウルムチでウイグル人の「騒乱」があり、死者が出たと報道していた。
ちょうどイタリアでG8サミットが開催されていた最中であった(胡錦濤主席も参加)理由をして、「世界の注目を集めようと、ウイグル人がこのタイミングをねらって騒乱を起こした」と日本のマスコミの大部分は報道していた。 同じことを、中国政府も発表した。 日本の主要メディアはまるで人民日報のようである。 テレビではウイグル人がパトカーをひっくり返し、バスに火をつけ、商店を打ち壊す姿が映されていた。
けれども、ぼくはこの報道を最初から疑っていた。
つじつまが合いすぎるし、世論誘導の臭いがするからだ。
そこで、片っ端から書籍や海外のネットニュース(フランスが詳しい)、YouTubeにアップされている映像などで調べてみることにした。
そもそもきっかけはウルムチではなく、遠くはなれた広東省のおもちゃ工場(香港資本)であった。
△ ここ(しょうかん市)です【引用:朝日新聞】
G8に先立つ6月26日の夜、この工場で働く中国人(漢人)工員6000人が鉄パイプや棍棒、斧(!)などで武装し、終業後に宿舎に戻ろうとしていた仕事仲間であるウイグル人工員200人に襲いかかり、これを殺傷させた。 身の毛もよだつ恐ろしい事件である。 が、規模の割にいささか記事の扱いが小さ過ぎた。 誰ひとり死んでいない「毒入り餃子」ではあれほどの騒ぎだったことを思えば、あまりに不自然ではないか。
亡命ウイグル人のインタビューによると、逃げ回るウイグル人一人ひとりを中国人が寄ってたかって追い回し、棒や斧で死ぬまで暴行を続けたのだそうだ。 最後のひとりが倒されるまで約3時間。 ようやくそのころになって警察が出てきたのだという。 つまり「見て見ぬ振りの3時間」である。 しかも、警察が登場したあともまだ、倒れたウイグル人に対して中国人は殴る蹴るを繰り返していたらしい。 はやい話、警察もグルということだ。
21世紀のことだ。それどころか、つい2ヶ月ほど前のことである。
芸能人のゴシップネタとはわけが違う。風化させてはならない。
■ 衝撃の映像はこちら(心臓の弱い人は見ないでください)
これはウイグル人の隠し撮りではない。襲撃した中国人のひとりによる撮影である。 悪びれず撮り、堂々とネットにアップしたのだ。 誇りにすら思っているのかもしれない。そう考えると背筋がすーっと寒くなる。
証言には続きがある。
その夜、さらにその場で10人くらいのウイグル人女性が引き出され、その場で中国人に集団レイプされた。 そのうち2人は、首を切られ、工場の敷地内の木に長い髪をくくられ、ぶら下げられたという。
思えば数年前、ぼくはその工場に、サンプルを作ってもらうために訪ねていたかもしれない。 あるいはそのおもちゃは、あなたの家にあるかもしれない。 ひとりに対して、30人もの鉄パイプをもった暴漢が襲う。 女性はレイプされ、首を切られ、木に吊るされる。
ただ、「ウイグル人である」という理由だけで。
遠い昔でも、遠い国でもない。 お隣の、しかも香港とは目と鼻の先の広東省で、それは起こったのだ。
ではなぜ中国人工員は、ある日突然ウイグル人工員を襲ったのか?
ほかでもない。「ウイグル人の労働者6人が漢人従業員の女性2人をレイプした」 というたったひとつのデマであった。 それだけで、6000人が武器を手にして蜂起するのだ。 レイプしたといわれる犯人たち6人に対してではなく、さっきまで一緒に机を並べて仕事をしていたウイグル人従業員200人に対して。
ではなぜウイグル人の従業員がその工場で働いていたのか?
中国政府が若いウイグル人を、ウイグル自治区から中国各地に強制移住させているからである。 理由はもちろん、寄り集まって独立運動をさせないためだ。
G8中に発生したウルムチでの暴動にはそんな伏線があった。
ぼくを戦慄させるのは中国人工員の残虐性ばかりではない。
ウイグルの独立を武力阻止している中国共産党政府とその走狗である人民解放軍ではなく、そのへんの一般民衆ひとりひとりが、ただのデマひとつでウイグル人をめった殺ししてしまえる「集団心理」である。
人民解放軍や警察の命令でなくとも、一般民衆が自発的にウイグル人やチベット人を殺せる。 そのことにぼくは驚愕し、戦慄を覚えるのだ。
同じことは今も、チベットや中国の至る所で起きているはずだ。
それを制するには国際社会はあまりに非力である。
非力ではあるけれど、事実を知ることで何かが変わるかもしれない。 無視することが出来ないのだ。 ヒマではないが、ぼくだってウイグル人やチベット人として生まれる可能性がまったくなかったわけではないのだ。
とはいえ、のりぴーが潜伏していた場所をスクープする記者たちよりはヒマかもしれない。
彼らは、ひどく、忙しそうに見える。
ともすればぼくたちは「不都合な現実よりもっともらしい理屈」で報道をながめてしまいます。お気楽にのんびり過ごすには世界の現実はあまりに厳しいものです。世界の現実を知ることは恵まれたものの義務であると、ぼくはおもいます。ショッキングな映像を紹介してしまい申しわけないです。
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