薄く、美しいボディ。
まったくなんだって、こんなものを作ったのだろうと思う。
それは一枚のアルミニウム製の工芸品。
しかも、パソコンとしても使える。
スティーブ・ジョブズが明らかに日本市場を意識して2008年1月に発売した、世界最薄ノートパソコンである。
茶色のマニラ封筒から取り出されるシーンで有名なあのCM。
ネットが使え、軽くて小さなパソコンならば5万円で手に入るようになったこの時勢で、廉価モデルですら23万円もした。 上位モデルだと39万円もする。
「美しいが、それだけだ」
DVDもCDなどの光学式ドライブは同梱されず、CPUやメモリー、HDDも驚くほど容量が小さい。 LANコネクタさえない。 バッテリーもメモリー交換も出来ない。 「ムダを省いた」というけれど、これでは省き過ぎである。
このような「美しいだけ」の商品を選ぶには、相応な美学が必要なのだろう。 たいした美学も持ち合わせていないぼくがそこに到達するためには、いくばくか回り道が必要だった。
昨年、ほとんど動かなくなったパソコンの買い替えをきっかけに、思いきってMacBookを使い始めてから約1年。 気がつけば、すでにWindowsには戻れないカラダになってしまった(会社では使ってるけど)。 「ただの道具」であるはずのパソコンに、妙に愛着を持つようになったのだ。
MacBookはたしかに便利だけど、たとえば前回の旅行のようにあちこち持ち歩くうちに、だんだんとその重みに耐えかねなくなってきてしまった。 たかが2キロ、されど2キロである。 鞄と本を一緒に持ち歩けば、4キロ近くなる。 けれども小さなパソコンは長時間のタイピングに向かないし、グラフィックをいじる作業には非力すぎる。
「MacBookがあと1キロ軽ければ・・・」
そう願わずにはいられない。
そこでふたたび検討を開始したのが MacBook Air。 お店でさわらせてもらうと、もう後戻りできないほどに美しい。 所有欲がむくむくわいてくる。 まるで10代の性欲のようである。 片手で軽々と持ち上げれば、だんだん美しい愛人をお姫様抱っこをしているような気分になってくる。 思わず抱きしめてしまう展示品、そばにいた店の人を慌てさせてしまう一幕も。 いやあ面目ないです。
しかし次の壁は値段。
「あと10万円安くなってくれれば・・・」
そう思いながら自宅でネットを徘徊。 午前4時。
おそらく理性も経済感覚も眠ってしまっていたのだろう。
夢半ばに、気がつけば注文してしまっていた。
やがて届いた”Air“.
薄く、しなやかに美しい筐体に、初期設定する手も思わずとまる。 まったく余分な脂肪がないアルミボディ。 軽いのに広い。 照明を落とした部屋では、自動的に光るキーボード。 光量がしぼられるディスプレイ。
ふつう、買う人が商品を選ぶものだ。
けれども”Air”は、商品のほうから買う人を選ぶように思える。
生活スタイルと美学
“Air“が欲しくなったら、たぶんあなたは選ばれたのかも。
■ MacBookからのデータ転送も、無線で驚くほどカンタン!
△ これはちょっとブラックジョーク・・・
ああ、へそくりが消えていく・・・
今日の応援、どうかひとつ
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