総務省によると、日本中にはテレビが1億2千万台もあるという。 奇しくも日本人口と同じ、意外に多いのだ。
このうち地デジ対応済みのテレビが7千2百万台。 もうそんなに普及していたのかあ、と思う。 北京オリンピックとWBC、ふたつの大きなスポーツイベントもこれに寄与したはずだ。 テレビの買い替え需要にスポーツイベントは欠かせない。 まちがっても「地デジカ」ではないだろう。
すでに見た人ならわかるだろうけど、この地デジ放送、たしかに画像はとてもキレイだし文字情報が同時表示できたりと、なかなか感動的だ。 ハイクオリティな大画面液晶テレビもずいぶん手頃になったこともあり、我家も1年半前に購入。 東芝製の37インチで15万円だったかと思う。 今ならもっと安いだろう。
このクオリティを必要としていて、かつ買い替えても生活に困らないのなら損な話じゃない。
消費者にとって必要性があれば売れるし、メリットを感じさせられなければ売れない。 世にある商品がみな、そうであるように。
けれどもそれが「強制的に」となれば、話は別だ。
自分で稼いだ金だ。
どう使おうが、あるいは使うまいが、個人の自由である。
加えて、まがりなりにもエコの時代である。
何が悲しくて、現役の家電製品を粗大ゴミ送りにさせられちゃうのか? なにしろ5000万台ものアナログテレビである。 これが国の施策で2年以内に強制廃棄される現実。 いっぽうで「環境に優しい国づくり」などと言われれば、聞いてるほうが赤面してきそうだ。 「夢の地デジ放送」どころか、ただの悪い夢である。
いっぽうデジタル放送を運営するテレビ局についてはどうだろう? 冊子の通りアナログからデジタルの変換はけっこうな先行投資を要する。 たとえばアナログ放送局の周波数をデジタル放送用に周波数をあける装置を「アナアナ変換」というが、これを全国規模で対応すれば2000億円以上もかかるという。
さすがのテレビ局ですら、そんな投資を簡単にはできない。 それでなくても放送システムなどのデジタル化には、相当金がかかるのだ。 余裕はない。 ローカルテレビ局においては、とくにだ。
じゃあ、地デジ化などやめればいい。と思う。
誰にとってもありがたくなさそうだ。
ところが総務省はこの費用を全額、国庫から負担すると発表した。 するとテレビ局側は、「自分たちが負担しなくていいのなら」とあっさり地デジ推進を容認。 これが今に至る経緯である。
とはいえ国庫から捻出するのは、たかが(?)2000億円程度ではすまない。 たとえば、地デジ対応テレビを買えないとされる貧困層260万世帯には、デジタルチューナーを無償支給されるが、これが1世帯あたり設置料込みで23,000円。 これが約600億円。 これが同じく国庫から捻出される。 貧困層がさらに認められれば、この数字はさらに上がる。 さらに大きいのは全国の要所要所に建てられるデジタル放送用の中継塔、これがおよそ1兆円かかるという。 はたして誰の財布からこれをねん出するのだろう?
国庫とはもちろんぼくたちの払っている税金、さらにケータイ電話の利用料金から強制的に徴収されている電波利用料(年間685億円)からなる。
「なんでケータイ料金が、そっちにいっちゃうんだよ!」
「 それで商売しているテレビ局に負担させればいいじゃん!」
というのがまともな意見である。
日本にはテレビ局が128もある。 彼らこそは公共の電波を利用して商売しているのだ。 とくに首都にあるNHKとキーステーション5局。 けれどもテレビ局全体が負担している電波使用量はわずか37億円でしかない。ここに勤める社員は40歳で平均1500万円もの年収を得ているにもかかわらずだ。
営業収益だけで3兆円を超えるテレビ局業界。
電波が使用できなければ1円だって儲からないはずだ。 だのに払うシャバ代は驚くほど低い。 たとえばNHKの年間営業収益は約6700億円あるが、電波使用量はわずか0.18%。 フジテレビは3700億円の収益に対し、たったの0.08%しか払っていないのだ(引用:河野太郎氏のブログ)。
ほとんどタダ同然ではないか。
本来ならテレビ局側が「アナアナ変換」費用や「中継塔」を負担してしかるべきだろう。 あるいは同市場で稼いでいるメーカーや広告代理店が、利益額に応じて分担するのが、まっとうなような気もする。 普通の会社なら自社で行う設備投資を、こんなふうに国、いや国民に負担させ、自分たちの利益と利権の拡大を図るやりかたに、だれも反対しないのはおかしいのではないか。
「夢の地デジ放送」と彼らは言うのだけれど、じゃあいったい世論はどう見ているのだろう?
「機能はアナログのままで使いやすいほうがいい」70%
「地デジカキャラにも費用をかけたなんて・・・」なおきん
「派遣切り」や「最低賃金の保障」を政府に迫るなど、まるで正義の味方を演じるマスメディアたち。 けれどもぼくはつくづく思う。 はたして彼らに正義を語れる資格はあるのだろうか?
テレビ局に不利なことは、絶対テレビでは報道されない。
新聞もテレビ局と同じ経営者だから、やはり報道しない。
マスコミを社会の公器と呼ぶには、まだ1万年早い。
あなたやぼくがそれを確認することは、まずないはずだ。
ブログがありがたいのは、この手の記事を共有できることでしょうか。だってテレビも新聞も自分たちの既得権益を失うような報道はぜったいしないですからね。それをサラリーマンの辛いところだと開き直るのであれば、「社会の公器」などと公言しちゃだめですね
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