ブディさんが声をかけてきたのは、マリオボロ通りで路上でチェスをやっている男たちにぼくがカメラを向けようとしたそのときだった。
「もっと近くからどうぞ」
やや小太りのがっしりとした体躯。 どこか懐かしい顔に思えたが、もちろん知らない男だ。 愛嬌よく笑い「こっちだといい写真が撮れますよ」という。 このときになってようやくぼくは、その男が日本語でしゃべっていることに気がついた。
どちらかといえば貧しい国で、現地の人が愛嬌よく日本語で話しかけてくるケースは、これまで何千回となく経験してきた。 たいていは良くないことのほうが多い。 何かを売りつけようとするか、だまして金を巻き上げようとするか、あるいはその両方だ。
不思議とその男にはそのような警戒心がわかなかった。 ぼくは彼の巧みな日本語のわけを訊く。 その男が言うには、10年前に研修のため東京へ2年ほど、すんだことがあるのだという。 在日中は「ブリ」と呼ばれていたのだそうだ。
まだ早朝だというのに南国特有の暴力的な日差しを避けるようにしながら、ぼくたちはしばらく立ち話をする。 木漏れ日が人や建物を鮮やかに照らし、屋台からは朝食のいいにおいが漂う。 勤め人ならばそろそろ仕事につく時間である。
ぼくは半分冗談で「ブディさんは失業中?」と訊いてみる。 ブディさんはハハハと笑い「ホテルなどから頼まれて通訳や旅行ガイドの仕事、やっています」と答えるのだった。
「ちょうどよかった」とぼくは膝をうつ。 寺院めぐりのツアーを申し込もうと、まさに旅行代理店を探しているところだったのだ。 ブディさんなら手間が省ける。
そのことを伝えるとブディさんは「ぼくは車を持ってません」といい、でも・・とつなげる。 そして「バイクならあります、ほらあの赤いやつ」と、その方向を指差すのだ。 バイク、いいじゃないか。
「それでいい」
ぼくはわくわくしながら言った。
バイクをふたり乗りして、ジョグジャ(地元の人はジョグジャカルタのことをそう呼ぶ)から40kmくらい離れたボロブドゥール、プランパナンなど3つの寺院を(しかも日本語のガイド付き)まわる。 所要時間は約8時間。 それから一緒に夕ご飯を食べ、ホテルまで送ってもらう。 悪くない。
「いくらで行ってくれる?」とぼくは問う。 ブディさんは少し迷ってから「20万ルピア(2000円)でどうですか?」と答える。
「それでいい!」
ぼくはわくわくしながら言った。 さっきよりもいくぶん強めに。
旅はこれがあるから、面白い。
さっそくぼくたちはバイクにまたがる。 ブディさんはパーキング場のおじさんからぼく用にとヘルメットを借り、サイズを調整しかぶせててくれた。 ためしに「この国はヘルメット着用は強制なの?」 と訊けば、「いいえ、かぶらなくてもいいです」と答えるのだ。
(大丈夫、この男なら)と、ぼくはひとり合点した。
ありきたりの毎日と引き換えに、ぼくたちは安心と安全を得ることができる。 でもそれは、望むともなく誰かの手のひらで踊ることでもある。 できるだけ上手に、はみださないように、こぼれ落ちないように。 「自分らしく生きたい」とぼくたちは口ではいいながら、しかし周りから浮いてしまわないよう自分を封じ込める。 自分ですら気づかないくらい、とても上手に。
それが日本人が言うところの「大人」だ。
結局のところ、ぼくたちはなぞるように生きるしかないのだろう。
けれどもそんな「なぞり」は、やがて自らを縛る澱となる。
旅の風は、そのような澱を浄化する作用があるように思う。
△ ボロブドゥール仏教寺院、日本の平安京とほぼ同じ頃に着工された
バイクの爆音と排気ガス。 インドネシアの田舎道はお世辞にも整備されているとは言いがたい。 穴ぼこやアスファルトの亀裂があり、枝やヤシの実が落ちていることもある。 下水の水があふれ乾期なのに大きな水たまりもある。 そんななかをかまわずブディさんはぼくを乗せ疾走する。 無防備なぼくの膝や肩をかすめて走り去るクルマやバイク。 大きなカーブでは小石にタイヤをとられ、一瞬よこすべりする。 転倒したりバランスを崩して落馬すれば、おそらく無事ではすまないだろう。 見知らぬ場所で、どうなるかわからない運命を思う。 ブディさんと出会ったのは、ほんの1時間前なのだ。
△ ムンドゥッ寺院、中に巨大な石仏三尊像が座っている。ちかくのマングローブの大木から垂れ下がるツルでブディさんとしばしターザンごっこに興じる
赤道直下の太陽にヘルメットを焼かれ、ヤシの実のアーチをくぐり抜ける。 道ばたで戯れる貧しい身なりの子供たちに手を振り、その子らの運命に思いを馳せる。 干し草を積んだ馬車、道を横切るアヒルの一群。 前後に子供を乗せて走る自転車。 どうせ、生まれる場所と時代は選ぼうにも選べない。 その子供はぼくであったかもしれないのだ。 田園がひろがり、風に土の匂いが混じる。 遠くに見える仏教寺院の屋根が、なにかの合図のようにきらりと反射してみせる。
なんだかわらないけどすごい!
風の中でふいに咆哮してみたくなるが、やめた。
ブディさんがびっくりして、ハンドルをとられちゃうと困るので。
■ プランバナン寺院をバックになおきん
アンコールワットの遺跡に似ているのは、両者ともビンドゥー教寺院であるから。でも時期はややこちらのほうが古いです。 実は開場時間に間に合わず中には入れませんでした。ブディさんはしきりにあやまるのだけど、十分です。あれ以上スピード出されていたらさすがに命が心配。
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