△ ジャカルタ市内をタクシーで移動中、よくこんな風景を見かける
今ぼくのいるこのジャカルタ。
オランダ統治時代はバタビアと呼ばれていた。
それよりも前はジャヤカルタといい、これはイスラム教で「偉大なる勝利」という意味なんだそうだ。 侵略と同時にキリスト教を普及させたかったオランダ人にとっては、この都市名はいささか都合が悪かったのだろうと思う。
そのバタビアをあらためてジャカルタと名付けたのは、意外にも日本人である。 開戦まもない1943年、日本軍はたった9日間の戦闘でオランダに勝利し、インドネシア全土からオランダ人を追い出した。 ジャカルタに改称されたのはこのときだ。 本来ならばジャヤカルタにするところだけど、日本人的に韻が悪いと判断したのかもしれないし、そのほうがモダンであると感じたのかもしれない。 少なくとも日本が戦争に負けてこの地を去った後でも、あいかわらずジャカルタはジャカルタのままであるところをみても、インドネシア人自身も特に不都合はなさそうである。
さて、2006年2月に米メリーランド大学と英BBCの共同調査により、「世界に最も良い影響を与えている国」は日本、であるという結果が発表された。 調査実施国は欧米、中東、アフリカ、アジアのうち33カ国というから、わりと大掛かりな調査だったのだ。
その中でもっとも日本肯定派がいちばん多かったのがインドネシア。 なんと、実に国民の85%が「日本は世界に好影響を与えている」と回答していたのだ。 親日と言えば台湾やトルコが想起されるけど、インドネシア人こそがいちばん日本を好ましく思っているようなのだ。
この国がオランダの植民地であったのは実に350年にも及んだ。 ひとことで350年といっても、当時の平均寿命を考えても10世代ぶんはあるだろう。 こうなるともう「白人に支配されている」ことがあたりまえになる。 奴隷の子は奴隷で、さらに孫も奴隷で、強制栽培をやらされていた。 歯向かうものは容赦なく殺され、教育も医療もまともに受けられず死んでいった。 人間の尊厳? そんな言葉は一万光年はるかかなたの向こう側にしかなかったのだ。
そのような歴史を持たない日本人にとって、インドネシア人の苦難は想像を絶するものがある。 いや、16世紀から20世紀半ばまで、アジア大陸やアフリカ大陸、南北アメリカ大陸で生まれ育った人たちのほとんどが、似たような苦難を味わっていたのだ。
たったひとつ、日本をのぞいては。
アジア各地を旅してまわりながらつくづく思うのは、あの時代、独立したままでいることは奇蹟に近いものだったということだ。 そうして一貫して国づくりに専念できた長い歴史を持つことが、どれほど貴重であるかも。 今の時代ですら電気もガスも通らず、まともな医療も教育も受けられない人々が、こんなにも多くアジアには存在する。
白人の国以外では、長く先進国と呼ばれている日本。
近代化と人間の幸せは必ずしも比例しないのかもしれないけれど、少なくても日本では、子供たちが渋滞で動けない車の窓をノックし、小銭や食べ物を乞う姿を見ないですんでいる。 生まれて死ぬまで路上で生活することも、ちょっとした風邪で命を落とすことも、まずないだろう。
ぼくはこんなにも日本に甘えているのに、
そのありがたみを忘れ、日々不満を募らせている。
親もとを離れて初めて親のありがたさを知る
そんな学生のような気分にも似た思い。
そのことを無理やり気づかそうとする何かが、
ぼくに旅をさせるのだろう。
甘美な日常にたるみきった、ぶよぶよの脂肪を燃焼させる。
ぼくにとって旅は、もはや「癒し」ではない
今回はややまじめな記事で退屈させてすみません。でもまあ、こういうこともつい思っちゃうんです。まだまだ旅は続きます。じゃあ、またね。
ややっ、ランキングに異変が!
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