” coffee or tea ? ”
格安航空券で旅をすれば、フライト中にぞんざいに扱われることも多い。 機内サービスで飲み物をきかれるときも、こんなかんじだ。
まあ、これっぽっちの料金で乗せてもらっているのだからとあきらめろといえばそれまでなんだけど、乗客は機内手荷物ではないのだ。 どうして “Would you like ~(いかがですか)” のひと言もないのか、とやはり思ってしまう。
「コーヒー? それとも紅茶?」
そう訊かれれば迷いなく「コーヒー」と答えながらも、その質問のたびにぼくの脳裏にある国が浮かぶ。
その国とはスリランカ。
セイロン・ティーでおなじみ紅茶の国である。
かつてセイロンと呼ばれていたこの国を支配していたのは英国。 その前はオランダ、さらにその前はポルトガル。 さらにさかのぼれば明(ミン)であった。 宗主国はその国力の盛衰によって次々に変わった。 当時の多くの土地がそうであったように。
意外なことに、17世紀のヨーロッパでは「コーヒーといえばセイロン」といわれるくらい、その土地は実はコーヒーの名産地であった。 コーヒー農園を経営していたのは当時の宗主国であるオランダ人。 インドネシアのジャワ・コーヒーとともにセイロン・コーヒーで大もうけしていた。
18世紀に入りオランダが衰退してくると、代わって宗主国になったのは英国。 病虫害などで荒れていたコーヒー農園を紅茶農園としてよみがえらせたのは、日本でもリプトン紅茶でおなじみのサー・トーマス・リプトン氏そのひとである。 高級ブランドのトワイニングやフォートナム・アンド・メイソンとは一線を引き、インドのアッサム地域から持ってきた茶樹を移植して大衆向けに大量生産をおこなった。
オランダのコーヒーから、英国の紅茶へ。
セイロンの主要輸出品は変わったが、支配されていることに変わりはない。
そんな時代が何百年と続き、最後の宗主国、英国統治時代の植民地政策がその後の内乱の火種となり、以来スリランカは常に政情不安とともにあった。
台湾と同じ人口2千万人であるこの国の、7割を占めるのは仏教徒のシンハラ人。 対して2割に満たないヒンドゥー教徒のタミル人が分離独立を求めてLTTE(タミル・イーラムの虎)を結成し、武力闘争に訴えてきたのが内戦の原因。
もとはといえば英国の植民地経営だ。 彼らは少数派のタミル人を重用し、多数派のシンハラ人を支配させていた。 現地の少数派に力を与え、多数派を支配させていたのは英国人の最も得意とするところである。 支配される民衆から自分たちが直接恨まれないよう、こんなふうにして矛先をかわしてきたのだ。
ビルマやシンガポール、マレーシアもそのようにして支配してきた。 ちなみにこれらの国では華僑をつかった。 彼らに権力を与え現地人を支配させていたのだ。 これに対し英軍を敗って侵攻してきた日本軍はさっそく華僑を排除し、現地人を優遇するよう軍政を敷いた。 このことで華僑は今でも日本人を恨んでいる。 いまも執拗にアジア各地や米西海岸で開かれる反日集会は、これら華僑の末裔である。
1948年英国から独立後、それまで支配を受けていたシンハラ人がさっそく復讐にとりかかり、タミール人を社会の最下層に押しやってしまった。
支配層の逆転。 このことが世界で最も過激な組織、LTTEを生むことになり、自爆ベストを着用したタミール人たちが各地で政府要員をカミカゼ攻撃させてきたのだ。
またスリランカ内戦は地政学上、インドと中国の代理戦争でもあったとぼくはみている。 LTTEはかつてインドの援助を受けていたし、先月ようやく収まった内戦は、政府軍であるシンハラ人に中国が協力な武器を貸与したためでもあった。
中国の狙いは、スリランカに自国の軍事港を建設するためだ。 インド洋に中国海軍を派遣することになれば、世界の勢力図は大きく変わるだろう。 このことはスリランカ最大の援助国でもある日本にも、もちろん影響するはずだ。 念のために言っておくと、決して「いい影響」ではない。
△ 政府軍に完全制圧されたLTTE(タミル・イーラムの虎)軍
覇者の栄枯盛衰によってこの島は翻弄されてきた。
それは今も変わらない。 そのことを気の毒に思う。
ましてやコーヒーと紅茶。
いずれも、その背景に植民地支配による不遇が見える。
そう考えれば、フライトアテンダントの無礼さなんて屁みたいなもんである・・・ などとぼくは、憤りを鎮めてきたのでした。
なんてことはもちろん、ない。
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