ひとは一日に約2万の瞬間を経験している 【ダニエル・カーネマン】
よろこび、怒り、悲しみ、たのしみ・・・
そういった瞬間が一日あたり、2万もあるという。
ぼくたちがふだん過ごす「なにげない一日」は、
実はそんなに何気なくもないのだろう。
あさ目が覚めて、誰かを愛おしく想い、
ホットケーキが食べたくなる、
ひるまのカフェの床にできた日だまり、
クレタ島ですごしたある風景を想う、
ダレかの言葉にちょっと傷つき、
誰かの言葉に勇気づけられる、
夕暮れの雑踏にゆれるスカートの裾、
スピーカーから流れる25年前の曲、
ウイスキーが飲みたくなり、
カレーライスの匂いにお腹がすく、
香港で親しくなったインド人の門番は今も元気だろうか・・・
ポジティブな瞬間があり、ネガティブな瞬間がある。
ゆだねていたい瞬間があり、
流されたくない瞬間がある。
往復運動のようであり、寸善尺魔*1のようである。
昨日と同じ「今日」はないのに、同じ「今日」は二度と来ない
はずなのに、記録にないどころか記憶にもない一日が、
ただ、消費される。
一日あたり2万もの瞬間を経験していながら、
「ただ消費」もないだろう、と思う。
空にひかれる一本の飛行機雲。
機内ではバターロールが配られているかもしれない。
これもひとつの瞬間。
「瞬間」を意識しながら過ごしたい。
そうすればたぶん
ちゃんとぼくたちは、物語に生きていける。
涙が止まらないよるも、
ちゃんと抱きしめてもらえる
*1:寸善尺魔(すんぜんしゃくま)よいことがあると、あとでそれを打ち消すほどの悪いことがあること。世の中はままならないという意味
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