日本人の特徴として2つあげるとするならば、
しっと深く、がまん強い。ということだろうか。
別々の要素のようだけどじつはこれ、相関している。
ぼくたち日本人は幼少の頃から、「まわりも同じなんだから自分勝手なことはしてはダメ」 と叩き込まれて育ってきた。
満員電車や、企業や国のだす理不尽な条件に対しても文句ひとつ言わず粛々と耐えている人たちを見るにつけ、日本人のがまん強さのようなものをひしひしと感じるものだ。 だがそのいっぽうで、がまん強さの正体は「まわりも我慢しているんだから自分も我慢している」にすぎないんじゃないかとも思っている。 あるいは「礼儀正しさ」についてもそうかもしれない。 まわりが礼儀正しいのなら自分も礼儀正しくしていよう、という心理だ。
つまり裏返せば「まわりが我慢しないのなら、自分も我慢しない」ということだ。
しっと深いから、がまん強い
ふたつは相関するのだ。
ある有名人のちょっとした失言や不正に対して、「許すまじ」と寄ってたかってさらに叩こうとするモンスター群衆心理。 ろくに検証もせず「悪いものは悪い」と一緒になってタコたたきする。 実に醜いのだけれど、テレビや新聞で報道されていることの60%は、そのことで占められる。
「はみ出る者には容赦ない」のが日本社会。
つまり、「正しい」かどうかはこの際どうでもよく、実は「周りもそう言っているかどうか」が判断の基準となる。 他国に比べその心持ちが強いのは、幼少時代から「自分勝手」をたしなめられていたことに起因しているんじゃないかと思う。
他国に比べればたいしたことのない格差にこれほどまで敏感で平等意識がことさら高いのも、実はこの「まわりと同じ」でないと安心できない性質を、ぼくたち一般的な日本人が持っているからだ。
『自分のやりたいことを、能動的に、時には大きなリスクをとって追及するよりも、組織の論理を優先させ、文句を言わずに黙々と結果を出すほうを選ぶ人々』
ほかでもない、日本のサラリーマンたちのことだ。 あるいは、それを美徳としているひとたちのことだ。
しっと深いから、がまん強い・・・
日本人体質に実にマッチしている。
かならずしも、ネガティブな意味ではなく。
それにしても
豊かさとは、なんだろう?
自由とは、なんだろう?
東京に住み始めてから、ぼくは毎日そのことを考えている。
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