ここ数年はろくにハンドルを握らないぼくも、ドイツに住んでいた頃はさすがにクルマなしでは生活できなかった。 買い物や旅行はもちろん、国外出張でも大いにクルマを利用した。 年間走行距離は、だいたい20万キロだっただろうか。 スペインのバルセロナからドイツの自宅まで、給油以外は休みなく12時間ぶっつづけで運転したこともある。
長距離運転中は、とにかくヒマである。
もう、運転していることを忘れちゃうくらいヒマである。 ぼくは眠気と戦いながら、ポットのコーヒーを飲んだり、ガムをかんだり、音楽に合わせて歌を歌ったりしながら、実にいろんなことを考えていた。
担任の先生を幼稚園から大学のゼミ講師まで羅列してみたり、今までつき合った女の子の名前を想い出してみたり(わりとすぐ終わる)、真珠湾攻撃に参加した旧日本海軍の艦船の名前をひとつずつ挙げてみたりしたこともある。
何しろヒマである。
スペインからドイツまで運転すれば、ビートルズの全ナンバー278曲が、それこそぜんぶ聴けちゃうくらいの距離である。
なんでクルマはガソリンでしか走れないんだろう?
そんなことをふと、考えてみたことがあった。
昔どこかで読んだ本で、19世紀の終わりごろのクルマはガソリンではなくアルコールで走っていたことを知った。 全世界で1500万台売れたというフォードT型は、アルコール仕様とガソリン仕様のどちらかを選べたとその本にはあった。
あらためて調べてみると、それまでクルマといえばアルコールで走るものでガソリンではなかった、とある。 このことはほとんど知られていないし、文献も少ない。 20世紀はじめ当時、石油から利用していたのはランプや暖房用の灯油だけで、ガソリンは廃棄物でしかなかったのだ。
なにしろガソリンは火を近づければ爆発するし、燃やせば一酸化炭素や窒素化合物など有害物質が排出される(アルコール燃料では排出されない)。 おまけにアルコールに比べてオクタン値も低ければ、1リットルあたりの燃費も悪い。 取り扱いが厄介なうえに環境にも悪いとなれば、ちっともいいことがないじゃないか、と思うのがふつうだろう。
わざわざガソリンに切り替えるなんて、当時の人たちはバカだったのか? そんなことすら思う。
おまけにガソリンは石油しかとれないけれど、アルコールはどんな穀物や植物からでも醸造される。 酒を思い浮かべればわかるけど、米からも麦からも芋からもトウモロコシからも、さらにブドウからも杏からも、あるいは雑草からだってアルコールは作れる。 アルコール醸造なんて、もう何千年も前からの産業だ。 18世紀頃のアメリカでは醸造機くらい、どこの農家だって持っていたのだ。
とにかく肝心なのは、石油は特定の場所しか採掘できないのに対し、アルコールは世界中のあらゆる場所で醸造出来るということだ。 もちろん日本でも、ね。
クルマ先進国アメリカで、最初のガソリンスタンドが出来たのが1920年。 おそらくこのあたりが「燃料の切り替え時期」だったのだろう。 それは、「その後の世界の運命の分かれ道」でもあった。
では、前年度の1919年に何が起こったか?
”アメリカ禁酒法”である。
世紀の悪法とも、バカ法ともいわれる禁酒法だ。
不思議なことに、このころ世界のあちこちで禁酒法が成立している。
あれこそが、いまの世界につながるジャンクションであったのだ。
禁酒法といえば、そもそも「酒場で亭主が飲んだくれて家に帰ってきやしない」 という不満を爆発させた女性たちや潔癖性なひとたちの禁酒運動から始まったように思われているけど、実態は飲料用アルコールの禁止だけではなく、産業用アルコールの製造、販売、流通の全面禁止でもあったのだ。 すなわち、クルマの燃料としてのアルコールが禁止されたということだ。
当時、アメリカで消費される石油の90%はスタンダード石油という会社が取り扱っていた。 その経営者はだれであろう、あのロックフェラー家であった。
それまで灯油だけを採取して、残りは川に捨てていたというガソリン。 これをなんとか換金化したいと考えるのがビジネスマン。 当時から米経済界を牛耳っていたといわれるロックフェラーなら、なおさらであろう。
ここでピンときたあなたに、もう説明は不要だと思う。
想像してほしい。
クルマだけではない。 あのままガソリンでなく、アルコールだけで動く内燃エンジンが世界中で普及していたら、今の世界はどんなふうになっていただろうか?
世界中のあらゆる内燃式タービンを、あるいはピストンを、石油ではなくアルコールで動かしていたなら、今日世界が抱えるどんな問題が解決されていただろうか?
エネルギー問題、環境問題、石油価格乱降下、中東問題・・・、数々の問題は問題ではなかったろうし、世界はもっとシンプルであっただろうと思う。
1941年当時、日本が開戦に踏み切ったのも石油、いまだに戦争がなくならないのも石油のせい。 となれば、死ななくて済んだ人々、戦災で家族を失うこともなかったかもしれない。
飲んだら乗るな、飲むなら乗るな。 だが、
アルコールを飲むべきは、むしろクルマであるべきだったのだ。
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