ぼくの勤めるオフィスは千代田区にある。
あの「年越し派遣村」のテントが張られた日比谷公園も同じく千代田区だ。 皇居も国会議事堂もそこにある。
事件や騒動は、時間が経つといろんなものが見えてくるものだ。 だからこそぼくは、世間で話題にならなくなった事件を振り返ってみるのが好きだ。 歴史検証ももちろん、これにあてはまる。
「突然解雇され、住んでいた寮から追い出されたかわいそうな派遣社員たち」として、テレビを通じて日本全国から同情を集めていた約500人。 しかし、ほんとうに「派遣切り」された人たちはその後のアンケート調査によって80人程度しかいなかったことがわかっている。 あとは日雇い労働者や失業者、浮浪者やただの野次馬でしかなかった。
それが「派遣村」の実態。
純粋な気持ちでボランティアに身を投じていた方々にはつくづくご苦労さまでしたと声をかけたいところだけど、この一連の騒動の末、千代田区が支払った生活保護費は総額3000万円。 もちろん出処はその地に住む区民の納めた税金だ。 美談で済ますには、コトはあまりに複雑だ。
そもそもなぜあの騒動が「千代田区」だったかといえば、そこに永田町と霞ヶ関があったからだ。 皇居があるのも好都合だったかもしれない。 そんな場所で騒ぎが起これば、治安当局や政治家がどうにか騒ぎを鎮めようとあわてふためくからだ。 こういうことが大好きな政治番記者のいるマスコミも活動しやすい。
もうわかると思うけど、あれは一種の政治集会であった。
それが証拠に派遣や失業とは何の関係もない「憲法改正反対」とか「消費税反対」といった幟をもったデモ隊がシュプレヒコールを叫んでいた。 「ねえ、あんたたち、だれ?」 と、主役であるはずの保護された人たちも思ったであろう。
弱者の立場を聖域化して、独自の主張を押し進めるのは左翼運動家たちの常套手段だけど、「派遣村」ではまさにそれがおこなわれていた。 「現代の駆け込み寺」を自称している日本共産党も、まるで「自分たちの時代がやってきた」とばかりに満足そうだ。 けれども駆け込んだ人たちにとって、ほんとうにそこが「寺」であったかどうかは後に判明するはずだ。 外には「格差是正」を訴えるも、その組織こそが「格差」そのものだからだ。 これは世界中の共産国家がどうであったか思い出せばわかる。
ともかく「失業」に聖域はない。
たとえ正社員であっても会社ごとなくなれば即、失業者だ。 「派遣村」に同情的だった人も、明日自分が解雇されるとなればその余裕はない。
国や企業の不当に対し理不尽を訴えるのは大事だ。 一人ひとりの立場は弱いから、組織に頼ったり集団で行動することもやむを得ない思う。 けれども組織や集団はまた、それ自体が別の意志を持つ。 弱者を利用するという点では、自分の首を切った組織よりも残酷かもしれない。
残念なことにぼくたちは、その権利を主張したり社会のやさしさに頼る前に、やはり自らの能力を高めておくしかないのだろうと思う。 他の誰かに取って代われない無二の存在に、自らなれるよう技術力や人間力を身につけておくしかないのだろうと。
でなければ、自分たちの生活の糧は別の人のものになるだけだ。
香港在住時にともに仕事をしていた香港人や中国人たちは、いまの平均的日本人よりはるかに意欲的だったし、失うことを恐れないタフさがあったように思う。 精神的にも立ち直りが早かった。
トヨタやソニーなど、瀕死ながらも大企業である彼らがそのことに気づかないわけがないのだ。
20年後の日本人は自信をとり戻せているのだろうか?。
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