バッグパッカーの友といえば「地球の歩き方」。
これが近年、売れなくなってきたのだという。 理由は時代。 20年前ならいざしらず、いまならネット等で無料で新鮮な情報が得られるから、わざわざ千数百円出して買う必要がなくなったというわけだ。
でもそれだけじゃない。 いや、むしろこっちのほうが深刻なのだけど、10代〜20代のバッグパッカーが激減してしまったという現実だ。 法務省の出入国管理統計資料によれば、20代の海外旅行者は10年間で35%も減っている。 日本人全体では微増しているので、20代の落ち込みがいかに著しいかがわかる。
理由はさまざまだろう。 でも「お金がない」「時間がない」というのは今も昔も同じ。 年間国内旅行者はむしろ増えている傾向にあると勘案すれば、要するに「海外に出なくなった」ということだ。
「知らない国でのひとり旅」
これほどわくわくすることが他にあるだろうか? とぼくは思う。 まだ見ぬ土地、見たことのない外国人、知らない言葉、食べたことのない料理・・・ 期待と失望がないまぜの高揚感に好奇心は踊り、アドレナリンが噴出する。
ぼくが20代だった80年代半ばから90年代初頭は、特に貧しい時代ではなかった。 モノがあふれているのは今と同じだが、浪費することは美徳ですらあった。 国内で好きなものに囲まれ、ビデオを見ながらカウチポテトでもしていればよかった。 でもあふれる好奇心は、そこでぬくぬくしていることを自分に許さなかった。 時間は仕事を辞めれば作れたが、お金はじゅうぶんではなかった。
それでもバッグをひとつ背負って旅に出た。 物価の高い国々では切り詰めてやり過ごし、貧しい国々では治安の悪さに命の危険すら感じた。 そんなふうに行く先々で苦労し、疲弊し、腹をたてたりもするのだけど、それでも旅はやめられなかった。
なぜだろう? とぼくはあらためて思う。
何が自分を駆り立てていたのか?
端的にいえば「若さ」だったはずだ。
「なんでもみてやろう」と行動し、「なんでも経験してやろう」と冒険する。 お金はないけどエネルギーはある。 社会への反発もある。 若さにはそんな「欲望」がよく似合う。 「欲望」は勇気に裏付けされ、自信への源泉でもあった。
けれども21世紀初頭の日本では「欲望」はトレンドではないのだ。 つつしましく、安心・安全であることがなによりも大事で、小市民であることが優先される。 抑制された欲望は、エコとも親和性が高い。 データ*1によれば20代以下の世代にクルマは売れず、パソコンの保有率も40代の半分以下だ。
「そういう時代なんだよ」 と誰かがわかった顔をしていう。 そうなのかもしれないな、とぼくもわかったふりをする。 これも長引く不況のせいであり、ワーキングプアのせいである。 「ゆとり教育」のせいであり、小泉改革のせいである。 ネットのせいでありケータイのせいである。
理由は探せばいくらでもある。
でも致命的なのは「欲望」そのものの欠損なのではないか。
いまから20年後の日本を、ぼくはうまく想像ができないのだ。
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