マグカップをじゅうぶん暖め、いれたてのコーヒーを注ぐ
プラスチックのカップは好きじゃない。
家でもオフィスでもスタバでも。
ぼぉーっとものごとを考えているとき、まるで蒸発したかのようにカップからコーヒーがなくなる。 飲んだという自覚もない。 自覚もないから味も覚えていない。 せっかくのコーヒーには申し訳ないとは思うけど。 せっかく暖まったカップにはご苦労だったけど。
ぼくの頭の中はほんとうにぐちゃぐちゃで、いつも話があちこちに飛びまくる。 この頭とはもう40年以上もの付き合いだ。 いつもこうなのだ。
例えば「日本の世間」について考えたとする。 それはやがて「ローマ帝国崩壊後の地中海貿易」に行き、そこでジェノヴァの商人とマグレブの商人へと想いはせることになるのだ。
なぜに21世紀の日本から12世紀のヨーロッパへと話が飛んでしまうのか?
それこそがぼくの節操のなさであり、妄想癖のしわざだ。
もう20年以上も昔だろうか、ひょんなことからぼくは、フランスのマルセイユを起点に時計と反対まわりにスペイン、モロッコ、チュネジア、シチリア、イタリアという地中海沿岸ルートを、ひとりで旅したことがある。
終点はジェノヴァ。
このあいだG8が開催された場所であり、「母を訪ねて三千里」のマルコが住んでいた街だ。 たしか、マルコはそこからファルゴーレ号に乗ってアルゼンチンのブエノスアイレスまで旅をしたはず。 (すごいですね、まだ子どもなのに) しかも飛行機ではない、船旅である。
コロンブスがアメリカ大陸を発見するきっかけとなった大航海時代より前は地中海がグローバル社会のすべてだった。 もちろん欧米史観によればのはなしである。 日本は平安時代から鎌倉時代、中国ならば明から宋の時代のころ。 どっこい世界はそれぞれに歴史あり、だ。
さておき、地中海では北アフリカを拠点とするマグレブ商人とイタリアを拠点とするジェノヴァ商人が、それぞれのやり方で商売をしていた。 遠隔地との商売(貿易)にはエージェント(代理人)をたてる必要があるのは当時もいまも同じ。 しかしこのエージェントがくせ者で積み荷をごまかしたり回収金をくすねたりするので、依頼主たちはどうやって自分たちの利益を守ればいいのか頭を悩ませていた。
そこでマグレブ商人は安全策をとり、同じマグレブ商人と、つまり同胞同士とだけで取引をした。 同胞が裏切ろうとすれば、他の同胞から村八分にあうようにしむけた。 いわゆる「追放」である。 仲間を裏切れば二度と社会に戻れない。 このことをして、裏切りやごまかしの抑止力としたのである。
いっぽう、ジェノヴァ人は同じリスクを取引コミッションを高くすることで回避しようとした。 契約書を結び、違反者を法で裁くことができるよう裁判所まで用意した。 コストはずいぶんかかるけど、取引相手は外国人だろうと異教徒だろうとかまわない。 売買契約さえ、ちゃんと履行してくれればいいのだ。
この二つの勢力。 ぱっと見では安心・安全策のマグレブ方式のほうが、コスト高のジェノヴァ方式より効率がよさそうである。
けれども結果はどうであったか?
マグレブ商人はやがて地中海貿易から姿を消していき、ジェノヴァ商人はがそこを制覇してしまったのである。 同胞だけによる安心・安全よりも、多少のリスクをおかしても身内以外の相手と取引したほうが権益をもたらしたのだ。
「日本の世間」を思うとき、ぼくはついこのマグレブ商人がオーバーラップする。 一見、西欧型商法で成功しているかのように見える日本も、実は法律よりもはるかに世間の方が拘束力が強いことが見て取れるからだ。 信じがたいことにこのことは、裁判の判決にも影響を及ぼしているのだ。
たとえば米スティール・パートナーズのブルドッグソース買収事件。 あれは買収自体が事件ではなくて、世界では当たり前のTOBをスティール側が仕掛けただけなのを、日本の最高裁(最高裁が、ですよ!)がブルドッグ側の買収防止策を適法と認め、スティール側の訴えを退ける判決を下したこと自体が事件なのだ。 当時、マスコミやそれに形成された世間は、外国人ファンドによる日本企業買収にハゲタカだのなんだのとそりゃもう犯罪のようにはやし立てていた。 世間にとってこの裁判官たちはまるで”遠山の金さん”ばりに一躍ヒーローとなったが、外国人投資家や国際常識においては「日本市場は投資する価値なし」と判断されてしまったのだ。
2005年からこっち、ずっと右肩上がりで上昇していた日経平均株価は外国人投資家が日本株を買っていたためだが、この事件が2007年8月に起こったことをきっかけに、「日本、やばいかも」と売り飛ばされてしまった。
△ 過去10年間の日経平均株価チャート
サブプライム事件の影響にかき消されてしまっているけど、日本株価の低迷の主因は「外国人投資家の日本売り」である。 ということは、真犯人は「司法」であり「世間」だった、とぼくは考えている。
とまあこんなふうに、「日本の世間はコワいなあ」と思うとき、自然と歴史からその姿を消したマグレブ商人へと思いは巡ってしまうのだ。
なんてことを書いているうちに、気がつけばマグカップのコーヒーはすっかり蒸発してしまっているのだ。いつものように・・・
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