隣人でありながら、ぼくにとって韓国は遠い存在だった。
正直に告白すれば、好きじゃなかった。
かといって、これまでまったく韓国人と接する機会がなかったわけじゃない。 仕事上の取引があったし、飲食店で知ることも、それから韓国人の恋人がいたこともある。
ともあれぼくが(出張でなく)韓国に行くなんて、数年前では考えもしなかっただろう。 韓流ドラマや映画には全く興味がなかったし、彼らの誇る歴史にも興味がない。 どの国も自国に都合のいい歴史解釈をするものだけど、朝鮮半島の人たちはあまりに唯我独尊すぎる。 そのうえ、日本人に史実を書き直させる始末だ。
もちろん食事は美味しいと思う。 それはそれとして東京に韓国料理屋はごまんとある。 現地に脚を運ぶまでもない。
それでも「分断国家」という点にはどうにも好奇心の虫がおさまらない。 かつてのベトナムやドイツがそうであったように、韓国もまた分断国家の片側である。 しかも前の二国が既に統一を果たしているのに、同じ民族である北朝鮮とは戦争中だ。 銃弾が飛び交っていないのは互いに停戦条約を遵守しているからで、戦争は終結していない。 未だ両国は準戦時体制なのだ。 北朝鮮はもちろん、韓国も徴兵が義務であり、数ヶ月に一回は空襲に備えた民間防衛訓練が行われている。
外気マイナス10度のソウル市内を、北緯38度を目指してバスはひた走る。 DMZ(非武装地帯)ツアー。 乗客は満員ですべて日本人。 ガイドも日本語だ。 車窓にへばりつく凍った結露をティッシュでこそぎ落としながら、ぼくは一瞬ここは日本かとおもう。
だけど、明らかに日本とは違う風景がそこにあるのだ。
高速道路は漢江(はんがん)に沿っている。 漢江はやがてイムジン川と合流する。 河岸に目を凝らせばびっしりと有刺鉄線が張られ、監視塔が定期的に建っているのだ。 まだソウル市内である。 ガイドによると北側のスパイや兵士は川から侵入し、後方かく乱してくるのだという。 やはりここは戦場なのだ、残念なことに。
ソウル中心部から高速道路を45分も走れば、川の向こう側に北朝鮮の山々が見えてくる。 その近さにあらためて驚く。 北朝鮮の指導者はことあるごとに「ソウルを火の海にしてやる」と脅すが、あながち誇張ではないのだろう。 弾道ミサイルを使うまでもなく、北朝鮮の領土内から、通常弾でソウル中心部まで届いてしまう距離なのだ。
ガイドの女の子はとても日本語がうまく饒舌だ。 話もとてもわかりやすい。 名前を洪(ほん)さんという。 乗客の中には、彼女の説明をして初めて朝鮮戦争のことを知る人もいるだろう。
「日本が戦争で負けたその日、韓国は独立したのです」 と洪さんは言い、「でもその独立は自分たちが勝ち取ったものじゃなくて、日本がアメリカやソ連に負けたから自動的にもたらされたのです」と続けた。
△ ツアーガイドを努めてくれた洪さん
1945年をもって朝鮮半島における日本の統治は終わり、北にはソ連が、南にはアメリカがそれぞれ進駐した。 どちらか一国のみによる進駐か、あるいは両国にイデオロギーの衝突がなければ、そこが北と南で分断されることはなかったかもしれないし、続く1950年に勃発するはずの朝鮮戦争は起こらなかったかもしれない。
しかし結局のところ「それ」は起こり、いまなお戦時中である。 それが証拠にあたりは韓国軍と国連(米)軍、対峙して北朝鮮軍が駐留し、国境(境界)線から南北それぞれ2km以内に非武装地帯(DMZ)が設置されている。 けれども”非武装”とは名ばかりで、実は200万個も地雷が埋められているのだ。 そしてこれが互いの進撃を牽制する役割を果たしている・・・
はずだった。
△ 肉眼で見える北朝鮮領内、160mもの北朝鮮の旗がそびえ立つ
北朝鮮にとって停戦条約など、不良学生の生徒手帳にすぎないのだろう。 彼らは侵入してはならないはずの非武装地帯、その地下70メートルもの場所に、韓国領土に向かってトンネルを掘っていたのだ。 脱北者の証言によると実にこのトンネル、20本ほど計画されているのだという(このうち現在までに7本までが韓国側で発見され、途中で爆破された)から驚きだ。 ちなみにひとつのトンネルで、一時間で3万人もの兵士を進撃させることが出来るという。 ということは北朝鮮がその気になれば、完全武装した兵士60万人をトンネルをくぐらせ韓国内に送り込むことが出来ちゃうというわけだ。
△ そのうちのひとつ、第三トンネル内を見学する
△ トンネルの途中まではトロッコですすむ
テポドンも怖いが、地下から這い出てくる北朝鮮兵士60万人も相当怖い。
なにしろ北朝鮮との国境はソウルからわずか50kmないのである。 これは東京都心から成田空港までの距離よりも近い。 66年前に造られた旧戦艦大和の主砲ですら届く距離なのだ。
△ ソウル市民1000万人は砲撃の射程内にある
これだけ近いと、相手を刺激するよりはなだめておいた方がいい、と思うのも自然かもしれない。 この地に立ち、至近距離から北朝鮮を眺めてみれば、愚策だと断じてきたあの「太陽政策」ですら支持したくなってくる。
△ 展望台には双眼鏡(有料)がずらりと並ぶ
ましてや韓国人の15人にひとりは、家族のいずれかが北朝鮮に住む離散家族なのだ。 連絡先がわからないどころか、生きているのかどうかすらわからない。 30前後の洪さんは、「私のお祖父さんも北朝鮮のどこかに住んでいます」と話してくれた。
△ 国境近くの”自由の橋”付近には北に残した家族へのメッセージが
その太陽政策の一環として、食料や物資が韓国から北朝鮮へ次々と送られた。 まさに金大中大統領の時代であり、そのとき作られた「都羅山(どらさん)駅」には、彼とブッシュ大統領のサイン入りの枕木が飾られていた。
△ 都羅山駅の外観
乗客の全くいない国境駅。 構内の看板にはこう記されていた。
ここは南(韓国)の終点ではありません 北(北朝鮮)への最初の駅なのです
もとより好きで戦争をしているわけではないのだ。 ましてや二国は同じ民族である。 「民族自決」の精神に則れば、当事者同士に他国が干渉する余地はないのである。 しかし、北朝鮮には中国が、韓国には米国の影響を無視できないのが実情だ。
停戦後55年経った今も、それは変わらない。
ツアーの帰り道、洪さんは「韓国のこと忘れないでください」といい、「次ぎにみなさんが来られるときには統一を果たしたことを自慢したいです」と結んだ。
もちろん、統一は容易ではない。
けれども平和ボケしたぼくの頭に、その言葉は妙に染み入るのだ。
そしてなんだか韓国のことが少しだけ好きになった。
最近のコメント